第2章 古代国家の形成・東国武士団のおこりと柏

 

1 都と柏を結ぶもの(奈良時代)

 


市原市稲荷台遺跡古代官道
(市原市教育委員会所蔵『千葉県の歴史資料編考古3』より)
「地下からあらわれているものはなんだろう。」
「これは古代の道路で,両側に溝をもち,幅もほぼ決まっているんだよ。このような道路は,当時,地方を直線で結んでいたんだよ。」
「奈良時代の律令制度が千葉にも広がっていったこどがわかるんだね。」
 

 

奈良時代は,公地公民を基礎どする律令制度に基づき,天皇や貴族による全国支配が確立しました。701年(大宝元年)に制定された「大宝律令」では全国を くに ぐん という地域に分けて治めました。また,仏教の力で国を治めようど中央に東大寺,地方に国分寺,国分尼寺をたてました。

今の千葉県は安房,上総,下総の3つに分けられ,下総国には11の郡がありました。下総の国府,国分寺は市川市周辺におかれ,現在の柏市は 相馬 そうま 郡, 葛飾 かつしか 郡に属していました。

 

⑴ 奈良時代の交通路

大化の改新後,情報伝達手段や税の運搬等を目的に都と地方を結ぶ官道がいちはやく整備されました。当初は東海道( 相模国 さがみのくに )から海路で房総にわたり 常陸国 ひたちのくに (茨城県)に向かうものでした。その後, 武蔵国 むさしのくに (東京都・埼玉県)の開発が進むにつれて,相模国一武蔵国一下総国一常陸国への道が本道になりました。

駅路想定図 (『千葉県の歴史資料編考古3』より)

このような主要道には30里(約16km)ごどに 駅家 うまや と役所がおかれました。下総国には5駅が置かれ, 井上 いのかみ 茜津 あかねつ 於賦 おぶ には馬10頭が置かれたといいます。なお,茜津の場所は柏市北柏付近,我孫子市新木・湖北周辺のどこかと考えられており,北柏にあった中馬場遺跡は,於賦の駅家の地で,古道に沿った拠点集落として栄えたという説もあります。 また,記録によると,8世紀後半には下総国から兵士300人,兵糧米6000斗を出すことが命令されており,奈良時代に柏は東北経営の前進基地として大きな役割を果たしていたこどがうかがえます。 ※1斗=約18.039リットル

 

⑵ 都に納めたもの

【平安時代にみられる諸国物産図】
(松戶市立博物館「常設展示図録」より)
下総国の納入期限は12月とされていたが
10月には出発していたようです

律令制度を支えたものは地方からの税金でした。税を納めたり労働したりするための移動は公民が自ら食料を持参し,長旅となりました。当時の記録をみると,下総から都までは往復30日,帰路15日と定められていました。 奈良・正倉院に納められている布袋銘には,天平17年(745年)という元号や 矢作部麻呂 やはぎべのまろ といった大井郷(現在の柏市大井付近)の村人の名が見られます。

 

⑶  手賀廃寺 てがはいじ

奈良時代後半〜平安時代前半にあった東葛地方で数少ない古代寺院です。
在地の豪族の氏寺ど考えられています。

 

手賀廃寺 軒丸瓦(『千葉県の歴史資料編考古3」より)





布袋銘
下総国相馬郡大井郷戸主矢作部麻呂調 ならび 庸布壹端
正倉院宝物・御物(宮内庁正倉院事務所提供)





 

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