
奈良時代は,公地公民を基礎どする律令制度に基づき,天皇や貴族による全国支配が確立しました。701年(大宝元年)に制定された「大宝律令」では全国を
今の千葉県は安房,上総,下総の3つに分けられ,下総国には11の郡がありました。下総の国府,国分寺は市川市周辺におかれ,現在の柏市は
大化の改新後,情報伝達手段や税の運搬等を目的に都と地方を結ぶ官道がいちはやく整備されました。当初は東海道(
駅路想定図 (『千葉県の歴史資料編考古3』より)
このような主要道には30里(約16km)ごどに
【平安時代にみられる諸国物産図】
(松戶市立博物館「常設展示図録」より)
下総国の納入期限は12月とされていたが
10月には出発していたようです
律令制度を支えたものは地方からの税金でした。税を納めたり労働したりするための移動は公民が自ら食料を持参し,長旅となりました。当時の記録をみると,下総から都までは往復30日,帰路15日と定められていました。
奈良・正倉院に納められている布袋銘には,天平17年(745年)という元号や
奈良時代後半〜平安時代前半にあった東葛地方で数少ない古代寺院です。
在地の豪族の氏寺ど考えられています。
