2 将門旋風ふきあれる! (平安時代)

 


(将門神社」柏市岩井)
「この将門神社は,将門ゆかりの土地だけに 祀 ( まつ ) られている珍しい神社なんだよ。」
「そうなんだよ。この神社は将門の3番目の娘 如蔵尼 ( にょぞうに ) が父将門の住んでいたといわれるこの地に建て,その霊を弔ったという伝説があるんだよ。」
「将門の伝説がこの付近には多いよね。」
「将門の坂東での活動の様子や私たちの祖先が将門をどのように受け止めたのかをみてみよう。」


 

平安時代になると都では藤原氏が力を伸ばし,摂政や関白の職につき9世紀の中頃から政治の実権をにぎるようになりました(摂関政治)。そのため,国司として地方に下った貴族や天皇の子孫の中には,そのまま朝廷の権威を利用して,その土地に住み着くことが多くなりました。桓武天皇の子孫である平氏も坂東に住み着き,坂東平氏となったのも同じ理由からでした。この平氏の一族は,常陸・下総・武蔵・相模などを治める役人となり,やがてこの地域の民衆をまとめ,武士の 棟梁 ( とうりょう ) として領地を広げて,力を大きくしていきました。

 

⑴ 平将門の登場

 

「平将門像」
(茨城県坂東市・国王神社所蔵)

東国平氏勢力図
(小学館版「学習まんが日本の歴史⑤」より転載)

 

関東一円をまきこんだ平将門の乱は,将門が935年( 承平 ( しょうへい ) 5年)に 伯父 ( おじ ) ・ 国香 ( くにか ) を殺したことをきっかけにおこりました。その原因は土地をめぐる争いといわれています。その後,他の豪族をまきこんでたびたび争いを続けるうちに,将門の名前は周辺に知られるようになりました。
939年( 天慶 ( てんぎょう ) 2年)になると将門は朝廷を相手に争うことになりました。常陸の 藤原玄明 ( ふじわらはるあき ) が国司に反抗して税を納めず,将門に助けを求めてきました。将門は玄明を助けたばかりか,求めに応じて常陸の国府を攻め,建物を焼き払ってしまいました。その後, 下野 ( しもつけ ) , 上野 ( こうずけ ) を攻め,国司を京都に追い払ったことで,朝廷への反逆は明確なものになりました。
やがて,将門は「 新皇 ( しんのう ) 」(新しい天皇)と名のり,下総 猿島 ( さしま ) の 石井 ( いわい ) に「 王城 ( おうじょう ) 」をつくり朝廷に反抗しました。しかし,農繁期で大多数の兵が村に帰ったすきをつかれ,あっけなく敗北してしまいました。将門を鎮めたのは地方に住み着いた国司の子孫, 藤原秀郷 ( ふじわらひでさと ) や国香の子 貞盛 ( さsだもり ) などでした。地方では武士が大きな力を持ちだし,都の貴族もその力を認めさるを得なくなったのです。

 

「 日秀 ( ひびり ) 観音」(我孫子市日秀)
かしげている首に注目

五輪塔(大井

左・「 福満寺 ( ふくまんじ ) ・鏡の井戸」(大井)
右・「将門神社・放れ駒」(柏市岩井)

 

こうして,将門の乱は収まりましたが,『将門記』には「稲束を田に数きつめて人馬がわたった」とか「幾千の人家を焼いた」など,戰乱の激しかった様子が記されており,各地に伝説が残されました。また,将門ゆかりの地である下総地域には,時の権力者に反抗し,国司の圧政に苦しめられた民衆が,将門を英雄として崇める将門信仰が受け継がれています。

 

⑵ 下総の荘園のおこり

8世紀以降,班田収授法をもとにした土地制度は,公民の逃亡や荘園(豪族の私有地)の拡大によってしだいに崩れていきました。広大な未開地を残し た下総一帯も,9世紀に入ると荘園がさかんにつくられましたが,多くは平氏一族のものといわれています。将門の乱の後,相馬郡は将門の叔父 平良文 ( たいらのよしふみ ) の領地になり,代々その子孫が受け継ぎました。
1130年( 大治 ( だいじ ) 5年) 平常重 ( たいらのつねしげ ) は自分の領地である相馬郡 布施鄉 ( ふせごう ) を,伊勢神宮に寄付し,「 相馬御厨 ( そうまみくりや ) 」(相馬郡の伊勢神宮の荘園,およそ我孫子市と取手市を中心としたあたり)としました。平常重は自分の 土地を名目だけ伊勢神宮の領地とし,自分は 下司職 ( げすしき ) (荘官)になり, 不輸 ( ふゆ ) の 権 ( けん ) (自分の領地の租税を納めなくともよい権利)を得ました。 このことが,他からの脅威からのがれることと同時に荘園の実質的な支配を確実にしたのです。

相馬御厨から伊勢神宮には米・畑作物, 雉 ( きじ ) ・ 塩曳鮭 ( しおびきさけ ) ,革・紙が納められました。
古代の相馬郡域と相馬御厨の四至(『千葉県の歷史通史編古代2』より)

 

⑶ 柏の製鉄遺跡

花前遺跡は鉄生産の専門的な工人の工房跡と考えられ,原料から製品を仕上げるまでの一貫した生産工程が行われていました。
(9世紀中頃〜10世紀後半)

古代の鍛冶工房(イラスト佐藤喜一郎)((財)千葉県教育振興財団提供)
( (財) 千葉県教育振興財団提供)

花前遺跡の鍛冶具「かなはし」(熱して半分とけかけている鉄をはさむ道具)
上のイラストの中から「かなはし」をさがしてみよう

 

歴史に挑戦

 

柏市付近に残っている将門の伝説を調べてみよう。
(将門神社の 隻眼 ( せきがん ) の人物像(彫刻),龍光院の地蔵尊蔵, 桔梗 ( ききょう ) 伝説,車ノ前五輪塔など)
「相馬御厨」の中に出てくる 志古多谷 ( しこたがややつ ) , 手下水海 ( てがのみずうみ ) の地名は,今のどこにあたるか調べてみよう。