第3章 武将の争乱のころの柏

 

1 頼朝挙兵を手助けした千葉氏(鎌倉時代)

 

「ずいぶん古い仏像だけど,柏市にある仏像かな。」
「增尾の万福寺にある仏像で,極楽浄土を願ったこの頃の仏像なんだって。」

万福寺 まんぷくじ 「阿弥陀如来坐像」

 

⑴ 源頼朝と柏

源頼朝は,源氏の再興のために伊豆で挙兵しましたが, 石橋山 いしばしやま の戰い(相模国)で敗れ,房総半島南部の 安房 あわ のが れました。その時,頼朝を手助けしたのが 下総国 しもうさのくに に大きな勢力を持っていた 千葉常胤 ちばつねたね です。頼朝に協力した 千葉常胤 ちばつねたね は,その 手柄 てがら によりやがて下総国の守護となり大きな影響力を持つようになっていきました。

賴朝は,千葉氏と敵対する常陸国の佐竹氏との戦いの前に野生の良馬を見つけ,その馬を呼んだ場所が「 呼塚 よばづか 」であるという言い伝えが残っています。また,柏市松ケ崎には,「賴朝通」という地名も残っているそうです。

 

⑵ 千葉氏の六人の兄弟が下総一帯に勢力を伸ばした

頼朝に協力した功績で, 千葉常胤 ちばつねたね の6人の子が下総各地に勢力を伸ばしていきました。現在の千葉県北西部一帯及び茨城県南部に広がる 相馬御厨 そうまみくりや 一帯を支配したのは,ニ男の千葉 師常 もろつね (相馬氏を名乗る)でした。相馬氏の支配は,室町時代まで続きます。

 

 

鎌倉時代に柏周辺を支配した相馬氏の城( やかた )がどこにあったか,今のと ころはっきりと分かっていません。現在のところ,発掘調査で大きな堀が見 つかった「根戶」,古文書に書かれていた「增尾」などにあったのではない かといわれています。 源義経 みなもとのよしつね の活躍を描いた『 義経記 ぎけいき 』には,その家来に 增尾十郎 ますおじゅうろう という者がいて活躍したと記されています。この 增尾十郎 ますおじゅうろう こそ增尾出身の武士で,相馬氏に深い関係のある者ではないかともいわれています。

 

⑶  阿弥陀如来坐像 あみだにょらいざぞう をめぐる謎

 

万福寺 まんぷくじ

柏市增尾の 万福寺 まんぷくじ は,江戸時代初期に建てられた寺です。ところが,ここに平安時代の終わり頃つくられたという阿弥陀如来坐像がまつられています。これはなぜでしよう。

実は,万福寺の境内に阿弥陀堂という小さなお堂があります。これは,当時からこの地域に万福寺極楽浄土への往生を願う浄土信仰が広まっていたことにつながるといわれています。さらに,同じ境内に 妙見様 みょうけんさま がまつられているほこらが残っています。妙見様は,相馬氏が代々信仰している守り神でした。阿弥陀如来坐像は,妙見様とともに手厚く保存されていたことがわかります。

このほか,柏に伝わる鎌倉時代の寺社として知られているのは.藤心の八幡神社,その南にある 宗寿寺 そうじゅじ ,布施にある 善照寺 ぜんしょうじ などです。これらの周辺には人々が村を作り住んでいたと思われます。この頃の文書を見ると次のような村が名を連ねていることがわかっています。「わしのやむら」「みのわむら」「いつみのむら」「おほ井のむら」「ますおのむら」「たかやなきのむら」「ふちかやのむら」,これらはいずれも相馬氏が支配する村でした。

 

歴史に挑戦

 

次の地名は,古代から中世にかけての古文書に書かれている地名ですが,現在のどこの場所を指しているか調べてみよう。
①「藤意」②「手加」③「益尾」④「名都谷」⑤「色陀」

—解答はP87-