3 上杉氏と北条氏の戦い(戦国時代)

 

「本格的な合戦の様子が描かれている絵だね。」
「上杉氏や北条氏がこの近くで戦ったそうよ。」

「北条九代記鴻之台合戦」
(船橋市西図書館所蔵)

 

⑴ 戦乱に巻き込まれる東葛地方

応仁の乱の頃になるど室町幕府の力は弱くなり,地方の守護や大名(領主)が武力によって力をつけてくるようになります。 そのころ,千葉氏よりも勢力を増してきたのが 安房国 あわのくに の里見氏です。1538年(天文7年),里見氏はおなじ野望を持った北関東の足利氏と同盟を結び, 相模国 さがみのくに から攻めてきた北条氏と戦いました。これが,第1次国府台合戦です。激しい戦いの末に北条氏が勝利するど,敗れた里見氏はいったん安房に退きました。 1564年(永禄7年),里見氏は今度は越後の上杉謙信と同盟を結び,北条氏と戦いました。これが第2次国府台合戦です。この戦いで重要な役割を果たしたのが小金城主の 高城 たかぎ 氏です。高城氏は南下してくる上杉氏を食い止め北条氏の勝利に貢献しました。そして,東葛飾地方一帯は,高城氏が小金城を本拠にして治めるようになりました。
この里見氏をモデルにしてつくられたのが,江戸時代の小説『南総里見八犬伝』(淹沢馬琴) だといわれています。

 

⑵ 天下の統一と柏周辺

織田信長の時代になるど,東葛飾地方は引き続き北条氏とその配下の高城氏が支配しました。 1589年,信長の後に天下を取った豊臣秀吉は,徳川家康らとともに関東で最大の勢力を持っていた北条氏を小田原城に包囲しました。この時,下総地方の領主である千葉氏や高城氏は小田原城内に立てこもっていました。そこで,豊臣秀吉は,小田原城に集まっていて領主が留守になっている東葛飾地方を攻め,支配下においてしまいました。やがて小田原城も落城し,豊臣秀吉は天下統一を成し遂げました。 その後,徳川家康が江戸を本拠にすえ,江戶幕府が開かれます。それにともなって,小金城をはじめどして東葛飾地方にあった多くの城が取り壞され,領地は幕府に没収されてしまいました。千葉氏や高城氏の家臣の多くは,下総地方や東葛飾地方に農民として土着していきました。

 

(3) いろいろな職業

室町時代の頃になるど産業が発達し,世の中にはいろいろな職業が生まれました。この頃の資料である「 本土寺過去帳 ほんどじかこちょう 」 (松戸市 殿平賀 とのひらが の本土寺に残る古文書)によると, 武士や僧侶,農民だけでなく現在にも残る仕事がいくつも記されています。

右上・番 匠 (大工)   左中・塩売り  右下・ 曲舞々 くせまいまい (くせまいまい)

 

まずはじめに酒井根,戸張,高田に 番匠 ばんしょう (大工)をして生計を立てていた人のことが記録に残っています。この頃の大工は,武士の屋数やお寺を作る宮大工がほとんどで,戸張の大工は本土寺の造営に参加したとも記録されています。 当時として貴重な塩を売る塩売りの彥四郎という人物が酒井根に住んでいたことも記録に残って います。このことから,塩 が品物として流通していたことがわかります。さらに音楽に合わせて 滑稽 こっけい に踊る猿楽という演芸を営む人( 曲舞々 くせまいまい )が現在の豊四季周辺にいたことも記録されています。そして時には,有名な寺で猿楽を演じたこともあったようです。これらの地域には人々が住み,やがて村がつくられていきました。

 

⑷ 地域に残る城跡

 

柏市域には,公園となっている增尾城跡や市の指定文化財の松ケ崎城跡などをはじめとして,戸張城跡や箕輪城跡など,戦国時代のものと考えられる城跡が多く確認されています。しかし残念ながら,いつ,誰が,何の目的でどのくらいの規模で築いたかなどは,はっきりしていません。 最近では,考古学の分野で研究が進んでいますが,まだ当時の様子は十分に解明できていません。 沼沢地 しょうたくち や河川に沿って築かれていたり,狭い地域に複数の城跡が見られたりするなど疑問が多く残されています。 みなさんも調べてみませんか。

 

⑸ 『本土寺過去帳』から見える当時の柏

 

日蓮宗,長谷山本土寺

 

本土寺は,鎌倉時代の創建が伝えられる松戶市にある日蓮宗の寺院です。また過去帳とは,寺院に所属している 檀家 だんか の中で亡くなった人の 戒名 かいみょう ,俗名,死亡年月日, 享年 きょうねん などが書かれている帳簿のことです。この本土寺に伝わる過去帳をひも解いて見ると,戦国時代の柏市域の様子の一端が見られます。たとえば,次のような記事があります。

 

(本土寺所蔵「本土寺過去帳」
『千葉県史料中世編本土寺過去帳』より)
上段右から①,②,③,④、下段右から⑤,⑥

 

上の記事は,次のように伝えます。①の記事には,市域で勢力を誇っていたと思われる武士,戸張氏の一族の「彥次郎」が「討死」したとあります。②の記事は,同族であると思われる「戶張 上総介 かずさのすけ 」が「腹切」をしたと伝えています。さらに③の記事では,1469年(応仁3年)に「五郎太郎」が「ナ卜カヤ(名戶ケ谷)」で「被打(殺された。)」と殺人事件があったことを伝えています。

このように,戦国時代というと,一般的に英雄が全国で活躍していたというイメージが強い時代ですが,「強いものが勝つ」という風潮の中で一般民衆がおびえながら生活し,現代の私たちの生活とは比べものにならないくらい命の危険にさらされていたということが,これらの資料から読みとれるのではないでしようか。

④の記事では,「サカサヒ(逆井)」で殺人が起きた事を示しています。⑤や⑥の記事には,「サカイ子(酒井根)」や「增尾」といった柏市域の地名が書かれており,当時,柏市域で生活していた人たちが「ウタルル(⑤)」や「打死(⑥)」と記されるように, 非業 ひごう の死を遂げたことが記されています。

歴史に挑戦

 

鎌倉時代や室町時代にはどんな職業があったのか調べてみよう。