第4章江戸幕府と柏(江戸時代)
1 領民に慕われた本多氏
「江戸時代の初め頃の柏の領主だった人で、家康の家来だった人なんだって。」

本多正重公肖像画
(本多紀雄氏所蔵)
「柏市史•近世編」より転載
⑴ 柏一帯を領有した本多氏
江戸時代になると
親藩 , 譜代 , 外様 の大名が各地に配置されました。将軍は,江戸に近い地域に譜代大名や旗本を配したり幕府の
直轄領
としたりして守りを固めました。江戸に近い東葛飾地方を治めたのが徳川家の重臣である
本多正重
でした。徳川家康の時代から重要な働きをした一人に
本多正信
という重臣がいましたが,本多正重はその弟です。正重は,江戸時代の初めに柏周辺の14の村の領主になりました。本多氏は代々農民を大切にし,過酷な税を取らなかったため農民に慕われていました。
藤心には,本多氏が配置した代官所の跡が残っています。また,かつて柏市北部にあった田中村の村名は,本多氏が治めていた田中藩(駿河国)からとったものだといわれています。
【柏の領主「柏市史」】
⑵ 大名の配置
このほか柏の近くには,小金城(松戸市)に
徳川信吉
(家康の五男)が,山崎城(野田市)に古くからの徳川氏重臣の岡部長盛が,関宿城(野田市)に家康の弟
松平康元
がそれぞれ領主として入城しました。しかし,小金城と山崎城は,その後幕府直轄地(天領)となり取り壞されました。このほか,東葛飾地方は旗本や御家人の領地となっており,さまざまな領主がいたことから「碁石まじり」と呼ばれました。
⑶ 黄門様の通り道「水戸街道」
JR南柏駅の東側の通りをまっすぐ北上し,柏神社の前に通じる通りが江戸時代に人々が往来した水戶街道です。
この街道は奈良時代以前からあったようですが,水戶徳川家がこの街道を通るようになってから,水戶街道として重要になり整備されました。南柏周辺の旧水戶街道沿いには,まだ昔の松並木の面影がところどころに残っています。
このほか,日光街道の脇道として,南柏から関宿に抜け日光道中と合流する
日光東往還
も整備されました。
柏は,小金宿と我孫子宿の中間にあり宿場はありませんでしたが,大名行列の手伝いに農民たちがたびたびかり出されました。水戶藩の江戸家老が帰国する時,総勢2000人が5日間に渡って通っている記録が残されています。そのため,「
助鄉 」として近隣の農民と牛馬が運搬用にかり出されたそうです。
「小金原勝景絵図」(船橋市西図書館所蔵)
街道と宿場
江戸時代の街道の跡や案内をかいた石碑(
馬頭観音
など)を探し,その年号を調べてみよう。