2 幕府の牧場 小金牧 こがねまき

 

「これが江戸時代の 小金牧 こがねまき の様子らしいよ。」
「野生の馬がたくさんいるね。」
慈本寺絵馬
慈本寺絵馬(藤心)

 

⑴ 江戸時代の村

江戸時代のはじめ頃,柏には40余りの村があったと記録されています。村では検地が行われ,大勢の 名請人 なうけにん と呼ばれる所有者名が記録に残されています。これらは 屋号 やごう として今でも残っている地域があります。柏の村でも,農民が連帯して年貢の責任を負う五人組がつくられました。また,村をまとめるために,名主,組頭,百姓代の村方三役が責任者となりました。領主の本多氏は,村役人に明細書を書かせ,収穫高や人口,馬の数,作物の種類等村の様子を細かく報告させたので,今でもその様子を知るこどができます。

 

18世紀初期の『元禄鄉帳』による

 

⑵  小金牧 こがねまき の姿

柏周辺は,平将門の頃から馬の放牧地となっており,優れた馬を育てる地域(牧)でした。 小金牧 こがねまき と呼ばれるこの地域は,江戸時代になると幕府が野馬奉行を置いて直接管理するようになりました。

小金牧 こがねまき には「高田台牧」「 上野枚 かみのまき 」「 中野牧 なかのまき 」「 下野枚 しものまき 」「印西枚」の5つの牧があり,鎌ケ谷や白井,船橋まで広がる大きな牧でした。このうち「高田台枚」「 上野枚 かみのまき 」(一部流山市)「中野枚」(松戸市,鎌ケ谷市も含む)が現在の柏市に当たります。

柏市にはところどころに起伏に富んだ地形があります。江戸時代,手賀沼周辺や大津川,大堀川沿いの低地では,水田耕作が行われましたが,台地やその周辺の林には,野生の馬が千頭以上はいたといわれています。幕府は,馬があまり来ない平地を耕し,新田になるように進めました。 これらが,塚崎新田や今谷新田(中新宿村)といわれるところです。

小金牧 こがねまき では,年1回幕府に馬を差し出すために「野馬捕り」が行われました。牧に放されている馬は「 捕込 とっこめ 」という土手で作った囲い(柏市では今の柏第二小学校付近にあったどいわれる)に追い込んで捕まえられたそうです。

このような時には,付近の農民が 人足 にんそく としてかり出されました。そのほか,農民は馬が田畑に入ってこないように 野馬土手 のまどて を作ったり,牧場の手入れをしたり,当時の農民には大きな負担になりました。

 

江戸時代初期の村

江戸初期の村(柏市郷土資料館 資料による)

 

(3) 俳人一茶も通った小金牧

江戸時代の終わりの文化・文政時代には,俳人として知られた小林一茶が流山や我孫子などを訪れ,俳句の会をたびたび行い右のような句をうたいました。最初の句は,旧水戶街道沿いの 香取 かとり 神社(流山市向小金)の境内に句碑が建っていてよく知られています。こうして小金牧は幕府に馬を供給し続けましたが,1869年(明治2年)に廃止され,現在のような耕作地に開墾されました。

 

小林一茶は,そのほかに布施弁天も訪れており,
その句碑が建っています。

 

歴史に挑戦

 

家や学校の近くに残っている 野馬土手 のまどて の跡を探してみよう。